現場に入って従業員とともに成長を目指す【株式会社岩谷運送 岩谷臣吾代表取締役】前編

Truck Heroesでは、他業種を経て、現在運送事業者やトラックドライバーとして活躍する人も多く紹介しています。株式会社岩谷運送の岩谷臣吾 代表取締役もその一人。経営者として重視してきたこと、成長のために注力したことなどを伺いました。

自動車メーカーの営業マンから転身。一度は断ったけど…

ー岩谷運送さんは、どのような事業を展開しているのですか?

岩谷臣吾 代表取締役(以下、岩谷):私の祖父が1955年に創業しました。岩谷運送があるのは、山口県の旧吉敷郡小郡町という国鉄の貨物基地があったエリアです。当時は生活用品の運搬を主に鉄道が担っていたので、基地から所定の場所へ三輪トラックで運搬する仕事を祖父が個人事業主として開業、昭和40年頃に福山通運の山口エリアの荷扱い担当所として法人化しました。

その後、徐々に岩谷運送独自の事業を始め、ご縁があって、地元の大手製造メーカーの材料調達から製品の納品代行まで、今でいう3PL(サードパーティー・ロジスティクス=荷主企業に代わって物流業務の企画・立案やシステムの構築、実行を行う事業)のようなトータル物流を行うようになりました。

私の叔父である先代の社長から、私が3代目として引き継いでいます。

ー社長就任以前から運送関連の仕事をしていたのですか?

岩谷:いえ、当時は自動車メーカーでセールスの仕事をしていました。祖父が始めた会社ですし、私の父も専務として岩谷運送にいました。幼少期は母の背中におんぶされて私も出入りしていましたし、従業員とも顔見知りでしたが、父から「岩谷運送に来い」と言われたときは、「なんだかややこしいことになりそうだから巻き込まれなくないな」とも思ったんです(笑)。

一度は断ったのですが、強く説得を受け、10年ほど前から岩谷運送に関わっています。

最初はとにかく現場で汗を流す。会社の規模も、従業員数も10年あまりで約2倍に成長

ー他業種からの社長業ということで、印象深かった出来事はありますか。

岩谷:以前働いていた自動車メーカーは大手企業ですから、ノルマがあって、目標があって、企業としてのビジョンやベクトルもはっきりしていました。方や岩谷運送は中小企業ですから制度が追いついていない部分もありました。プロジェクトを遂行するよりも日々の業務を消化することで精いっぱいなところも当時はあったので、私はとにかく一緒に汗を流そうと現場に入っていきましたね。

従業員の顔を名前も一致するくらいの規模でしたから、どんどん彼らに近いところで仕事をしようと近づいて行った感じです。

また当時は、求人に投資するという発想もありませんでしたが、ハローワークで募集をかけるだけでは限界があることも分かりました。転職サイトや地元の求人誌に掲載するなどして、リーチできる範囲を広げていきました。当時から比較すると従業員数も、年商も2倍に伸びましたし、真面目で一生懸命な従業員に助けられています。

<後編はこちら。>

(text by Yuka Shingai)