ー共進株式会社さんは、どのような事業を展開しているのでしょうか?
高瀬 稔彦代表取締役(以下、高瀬):1934年に私の曾祖父が創業しました。東洋紡績(現社名:東洋紡)という当時紡績の会社が1937年に岩国に進出してきたときから関わりがあり、父の代には機械の保全や荷役作業、運送など複数の事業を経営していました。私が社長に就任してからは、事業を分割して関係会社に移行し、当社は貨物自動車運送事業と倉庫業を営んでいます。
私の幼少期は、父がどんな仕事をしているのか全く知らなかったのですが、祖父母たちからは、「あなたもいずれお父さんのように立派になって、会社を引っ張っていくんだよ」とは言われていました。
大学を卒業と同時に共進株式会社に入りました。
最初の3年は、現場実習をしました。私は大型免許を取っていないのでトラックを運転することはなかったのですが、商品の荷姿詰替え作業、紙袋の手積み作業、フォークリフトで荷物をトラックに積んだり、長距離トラックの配車管理や運行管理などを経験しました。詰替え作業や手積み作業をした翌日は手が痺れて戦力にならず、また荷役作業の際にトラックを傷つけて怒られたり、失敗ばかりでお世辞にも現場経験を積んだとはいえません。
ー現場を3年ということは、若くして経営層に入ったのですね。マネジメントに回ったときに印象的だったことはありますか?
高瀬:当時、工事部長だった人から「あなたが現場の仕事をずっとするわけではないのだから、仕事を覚える必要はないけれど、現場のやりがいを理解できるようにしてほしい」と言われました。
例えば、現場によっては決められた休憩時間だけでなく、現場責任者の判断で作業の合間に一息つくことで、次の作業に余裕をもって向かうということも必要で、ルール順守も大切だけどハンドルのあそびも必要だよっていう事だったんでしょうか。
私が現場に入ったころは、FAXで出力したお客様の注文用紙を台帳に綴り、毎日の作業指示書作成や完了報告のために職場の端末にデータ入力し、経理課でも請求書作成用にまた同じデータを別端末に打ち込むといった重複した作業があちこちで行われていました。
同じ会社なのに別々の会社みたいに連携ができていなかったので、社内横断的なシステム化は懸案でした。
もっと効率のよい仕事のしかたができるのではないかと感じ、部長に進言して、社内端末のシステム化を進めていこうと、活動を始めた矢先、社内でトラブルが頻発するようになったんです。
ー突然、何が起こったのでしょうか。
高瀬:私としては、現場では迷惑ばかりかけてきたけど、やっと会社に貢献できると意気込んでいました。現場で学んだことをシステムによりよく反映させるために業務フローをあらためて現場職員に確認する作業を重ねていましたが、後々分かった事ですが、職員同士で「システムが動き出したら、あなたはクビになる」みたいな雑談があちこちで行われていたとのことでした。私に話してくれたらと問い返すと「社長の息子さんに気兼ねなく相談なんてできない」と言われました。
3年かけて運輸・荷役・保守の現場をぐるっと巡って、毎晩帰宅時に反省会と称して、学生時代と同じ「飲みニケーション」で、みんなと仲良くなって、自分の人となりや考えは知ってもらっていると大きな勘違いをしていました。
ハレーションが生じてからは、それまでうまくいっていた事業内で立て続けにミスやトラブルが起こりました。気持ちが離れてしまうと、組織ってこんなに脆いものなのかと気付き、大きく反省しました。システムは仕事を効率よく廻す手段であっても、仕事をしているのは感情をもった人なんですから、当然ですよね。
ー従業員満足度に影響してしまったのですね。
高瀬:本業に支障が出かねないので、しばらくシステム化は保留にしました。
仕事の中身は一緒でもそのやり方が変わるとストレスがかかります。 経営者の視点と職員さんの気持ちは、ときどき、すれ違いを起こします。
会議で話題提供するときも会話のキャッチボールをするように心がけています。
会議なんかでは絶対に本心は明かしてくれませんが、みんなのキャラクターを理解してそれぞれにあう時間、場所で気持ちを教えてもらっています。ようやく皆さんの理解を得られるようになったかなと実感できるようになりました。
<後編はこちら。>
(text by Yuka Shingai)